わたしの焦りを地球の自転に置きかえたら、どうなる?
意気揚々と書きだし、置きかえたら まで書いたところで、一体、どうなるんだ?と思った。
100回転してるだろう、とか?駐輪場の自転車がすべてなぎ倒されてしまうほど高速で回転するだろう、とか?
なんかそういう、たとえばこうなっちゃうだろう、みたいなこと、想像で書けなくなった自分に落胆。落胆して、深呼吸!
そして、どうなる?。に。した。
日常には負けられない戦いが多すぎる。それもこれもわたしが戦士(ファイター)であるからなわけだが、戦わねばと思うのは、自分が弱いからかもしれない!
カネコアヤノの新曲/さびしくない を聴いて、ふむ…と思ってTwitterを開いたらおすすめのTLが一斉にカネコアヤノのオタクで埋まっていた。この世は恐ろしい。恐ろしいことばかり。これも戦いだ。おすすめのTLに登場する知らない人の知らない人生と感想を、軽く受け流すという戦い。どう足掻いても、彼女/彼らは知らない人生に過ぎない。そして、おすすめのTLに出てきたツイートたちは知らない人生の数秒の一幕に過ぎないのである。
わたしはさびしい。カネコアヤノがさびしくないと歌っているとき、わたしはさびしい。色々なオタクが考察するカネコアヤノのさびしさ/さびしくなさを一旦置いといて、額面通りに受け取るのであれば彼女よりわたしの方がさびしい。
しかしわたしのさびしいこの瞬間が歌になることはない。鍵がかかっているから誰かの人生に登場することもない。自らが鍵をあけた時に、誰かにとって知ってる人生になりたい。私はさびしい。知られないことがさびしい。どこか遠くへ行きたい。知ってる街。知ってる店。知ってる人生。
桃よりパイナップルが好き。知らない電車。
いまのわたしの焦りとさびしさを地球の自転に置きかえたら、ららら、誰かが歌ってくれるだろうか。
そうして歌われた歌が誰かの胸を打ってくれるだろうか。
黙るか…